エッセイ 附・書簡おちぼひろい

序のことば

エッセイとは本来、己の信条を吐露することでありましょう。
いうなれば‘信仰告白’みたいなもの。自分がどう生きているのかの理由やら、
あるいは己自身の存在の根拠を証しするなり・・。

さて、精神分析に携わる者として、何を語れるものやら。
これまでも折々に求められて、 文章に書き綴るなり講演などでは語るなりしてまいりましたが、
差し障りのない限り、 それら過去の記録を引っ張り出し、
ここに一般公開してみようという気になったのです。

とうてい語り尽くせたとは言い難いのですから、まだまだこれから‘続き’が
あるものと思っております。饒舌であるのを元より好みはいたしませんものの、
沈黙にもはや意味を見いだせないのですから。無謀な企てかと些か怯む気分がなくもない。

だが、どことなく「精神分析」というのは‘秘密結社’のような臭みが付き纏う
わけで。仲間内の秘めごととして封印しておくのがいいのかといえば、そんなふうにして
なにやら臆病な、もしくは独り善がりな印象だけを募らせてゆくのは剣呑に思えてならない。
特に日本においてと限って言うことではないが、精神分析が広く一般の人々に支持されないのは
支持されない理由があるのだと考える。

「この指とまれ!」の呼びかけが無い。なぜだろう?そうした煩悶のあるところに、ホームページだの
ブログだのと、喧しくもざわめきが耳に入ってきたわけで。‘言挙げ’しないのが日本人かと思いきや、
いやはや誰でも彼でもが喋りたいことを喋ろうとする、そんな時代なんだわ、いつのまにかと驚く。
これって凄いんじゃない!と、妙な興奮を覚える。

‘伝統’を遵守するのと‘異端’を怖れないというのとは両立するのだろうか。ふと思う。
こと心に関する限り、精神分析にとってまったくの‘門外漢’など誰ひとりとしているはずもないのだ。
知らないことでも、知ってて損はないでしょ、といった類いの事柄もあるであろうし。
知らないと知ってるとでは大違いということだって実はあるわけで。
振り返って、どれほど多くのものを貰ってきたことやら。
それも有難う!の一言をも言うわけでも無しに。そんな具合に、これ迄自分がどれほどの人たちに
助けられ導かれ育てられてきたかを思えば、ためらうことなく、‘あなた’がどのようなあなたであろうと、 もしご入用でしたら、どうぞ貰ってくださいと言える自分でありたい。

勿論のこと、誰かに伝えたいなにかがあるとしたら、へえー!そうなんだあ・・の反応を
期待してないといえば嘘になる。だから闇雲にどうぞ!ではなくて、こちら側の狙いを一応語っておくのが筋というもの。

ここで、これだけはという一つを挙げるとしたら、それは、「こころが言葉(ロゴス:論理)を有するもの」であるということです。そして、それはひとそれぞれそれ自らにおいて絶対的に固有であるということです。

つまりあなたが生きているということは、あなたという固有のロゴスが生きてるということであり、
それは掛け替えのないもの。

しかしながらロゴスなるものとはそもそもが実に詐術の名人でありまして、こころを欺くものであります。さらには、だからこそこころは懲らしめられずにはおかない。
そんなふうにこころは「罪と罰」を生きるはめになるわけです。

奇妙なことですが、我々は自分のこころを知ってるかと問われれば、どう答えましょう。
正解は、 「知ってて知らない。知らないで知ってる」ということです。
しかも、知ってて知らないということを知ってる自分がいるし、
知らないで知ってるということをまた知ってる自分がいるのです。

なんと厄介な!ただどこか深層意識には‘超越的な他者’とでもいえる
ようなものが内在していて、自己超越的な働きをしているような気がして
なりません。その意味で、己れ固有のロゴスとは、‘躓きの石’であるとともに
‘羅針盤’でもあり、心の闇を手探りしてゆくなかで‘トーチ(照明灯)’にもなりましょう。

そんなふうに「精神分析」は懲りもせず飽きもせず「こころの言葉」を紡いで
まいりましたわけで。そうしてリレーされることで、そのいのちを永らえてまいった
ように考えております。

そして、バトンを手渡された者の一人として私もまた、いつしかそのこころの
言葉が悦ばしくもいのちを得、誇らしくも‘個’を謳うものとしてあるために、
倦まず弛まずこころの言葉に寄り添ってまいりたいものとの思いでおりますわけで。

ここに【贖いの器】としての精神分析を提唱したい。
そのような呼びかけとして私の書き綴りましたエッセイをもお読みいただければ大変嬉しく思います。
どうぞお付き合いいただきますように。 (2009/11/24 記)

【跋のことば】

今になってみれば、これらの「送り文」の宛先がどこの誰であったのか
なぞ、さほど意味を持たないように思われる。

彼ら一人ひとりは、私の中の‘こころの呟き’が‘声’として
聞き届けられるための‘耳’として存在してくれた。
私のうちで‘あなた’と呼びかけられ、そして彼らからの応答に
励まされて、そうした折々の機縁をとおして、言葉は紡がれた。

振り返ると、そこには、彼らに対して抱く懐かしさの余韻とともに、
紛れもなく‘わたし’の陰影が映しとどめられ、
「わたしなるもの」の‘想念の記憶’が刻まれている。

あのとき、私は誰かと共に居た。その私の居た‘あそこ’は遥かなる時の彼方に消失し、
もはや立ち還るすべも無い。そして、彼らの多くは、家族は別として、
現実にはもはや私との繋がりから解かれてある。また、惜しむらくは鬼籍に入られた方もおいでなのだ。
心の内で懐かしいと偲ぶことはできても、もはや同じ言葉が紡がれることは金輪際ありはしない。

だからこそ今、ただただ気まぐれな私の慰めごとならんとの杞憂がなくもないけれども、
‘落ち穂拾い’ならぬ‘文殻拾い’をしてみた。

それらの僅かな幾ばくかをここに公表したのだが。
誰に何の益あるものかは露知らず、
おそらくそれは或る一つの《わたしの成り立ち》のドキュメントとして
お読みいただけるかと思われる。
そして、それはいつの日にかしら、
あなたの《わたしの成り立ち》が聞かれるために・・・。

(2010/12/20記)

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